つれづれなるブログ

心にうつりゆくよしなしごとを綴ってゆきます。

家からゲームが消えた話

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(ゲームを取り上げられた私)


最近、子供のゲーム機を壊した母親の話が話題になりましたね。私も実は似たような体験をしました。いや、してます。小学生の時から今まで10年近く、ゲーム取り上げられてるんです。理由はゲームのやりすぎでした。


今回は、これにより何が起きたかという話を、大きく3つに分けてします。


①学校生活に支障
学校行ってする話と言えばだいたいがゲームの話でした。プレイした感想とか自慢とか話すわけですが、ゲーム取られてから話に参加できなくなりました。


結果、ゲーム雑誌で情報を集め必死に会話についていこうとする羽目になり、ストレスがたまる一方でした。実際にプレイした話になると口をつぐまざるを得ませんでしたが。


また、家に友達を呼びゲームをやると怒られるので家に人を呼べず、遊ぶのは外か他人の家にお邪魔するばかりでした。小学生ながらものすごく申し訳なく思っていたのを覚えています。


②物欲と情熱が消える
ゲームを取り上げられてから、毎年の誕生日は嫌がらせに近いものでした。何せ「欲しいものはある?」と聞かれても本当に欲しいものは手に入らないからです。


この経験から、心はどうやら「欲しいものは手に入らない」と結論付けたようで、心から欲しいと思うものはなくなりました。


とはいえ、ゲームに興味を持ち続けた時代の事は強く記憶に残っており、ゲーム雑誌はたまに読んでいました。手に入らなくても、どんなゲームがあるかは気になっていたのです。


没収から5年、私は小遣いでゲームが買えると気付き、こっそりゲームを買いました。確か中3の時のことでした。


久々のゲームで、これはもう受験そっちのけではまるのでは、とワクワクしていました。…しかし、その時には既にゲームに対しての情熱は薄れつつありました。


というのも、手に入らないゲームに期待しても苦しいだけだったため、知らず知らずのうちに「興味を持つ」事自体が出来なくなっていたのです。ホント、絶望しましたよ…


…その反動か、今や新しいゲームを買っても長続きせず積みゲーだけが増えて行きます。


③興味を失う
影響はゲームのみにとどまりませんでした。高校受験の際も、大学受験の際も、「自分の将来にすら何ら興味が持てなかった」のです。


何がやりたいか考えてみても、特に何に情熱があるわけでもない。何でもやりたいような気もするし、本気かと聞かれるとそうでもない。


結果ろくに勉強せず、高校は親に言われるまま決め、大学も自分の素の学力で行けたところに進学し、流されるまま今日まで来ました。


まとめ
子供の時の経験って、人格形成に大きく影響すると思うんです。感受性も豊かですし。


そんな時に、彼や彼女の大事なもの、興味のあるものを取り上げて心に影響しないわけがあるでしょうか。いや、ありません。悪くなることこそあれ、良くなることはないと確信を持って言えます。


そもそも人のものを取り上げるって、人を絶望させる行為ですからね。仮面ライダーウィザードの悪役(ファントム)がまさにやってますし。


僕は辛うじてこの程度でしたが、下手したら心を閉ざしたり、逆上することだってあります。それだけの行為なんです。


どこまでがゲーム没収の影響かはわかりません。自分の将来に興味持てないのは自分の責任かもしれません。でも、こうなる可能性はあるんです。下手したら一人の人生おかしくする可能性があるんです。


もしあなたが子供のゲーム壊したり取り上げようと思ったら、ほんの少しでいいから思い止まって欲しいです。


…理由付けてここまで書いたけれど、そもそも人のものを取り上げるのは教育的にも道徳的にもダメでしょう。たとえ親子でも。