つれづれなるブログ

心にうつりゆくよしなしごとを綴ってゆきます。

ゲーム紹介・デモンズソウル

去年、大学で
デモンズソウルとかソッコー終わったわwwwあれまじクソゲーwww」
とか言ってる人がいたのを思い出したんで、今回、初のゲーム紹介は「デモンズソウル」です。


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死にゲーとして名高いゲームで、名前くらいは知ってる方も多いのではないでしょうか。5つのステージを廻りつつ各地のボスを倒すのが目的のアクションRPGです。


このゲームの面白いところは、やはりというかなんと言うか、よく死ぬところです。チュートリアルから最後まで死亡は日常茶飯事で、特に多対一の状況を作るとまず間違いなく死にます。
なので、「どのように戦うか」を常に考える必要があり、それが楽しいのです。


また各ステージのボスにはそれぞれ特徴があり、大体は特徴に応じた攻略法があります。正直初見で勝てるのは稀で、基本複数回挑まなければパターンはわかりません。
「体力の続く限り殴る」
みたいなゴリ押しプレイだと物凄く苦戦を強いられます。


それでも死を繰り返し、新たな攻略法を考えクリアした時の快感は何度やってもたまらないです。「記憶を消してもう一度プレイしたい」という人がいるのも頷けます。


オンラインでプレイする際は、プレイヤー同士でメッセージ(定型文の組み合わせ)を交換するシステムもあり、たとえば

「一歩前に出てみよう」

というメッセージをステージに設置することができます。
必ずしも正しいことを言う必要はないため、「一歩前~」メッセージがあるのは大抵アイテムが手に入る場所か、落下死する場所の二択です。近くに後述の血痕があれば確実に嘘です。
変なメッセージも一杯あります。


プレイヤー同士の繋がりとしては、他にも死んだプレイヤーの直前の行動がわかる「血痕」、協力・敵対プレイが楽しめる「召喚・侵入」があります。上二つは、活用すれば大きな助けになるでしょう。


一周目に関して言えば、上手い人はもとより、あまり上手くない私のような者でも、時間をかけてレベルを沢山上げる・召喚を利用する等すればクリアは出来ます。
(尚、世の中には最弱の奴隷装備+ソロ縛りで一周目クリアした方もおられます)


問題は二週目です。ステータスや装備は引き継がれるのですが、敵の強さが跳ねあがります。最初の雑魚ですら、一撃でこちらのHPの3割近く持っていきます。
一周目と何ら変わらない難易度、いや、むしろ武器強化の限界等を考えればそれ以上でしょう。


定型文に、
「ここからが本当のデモンズソウルだ」
というメッセージがあります。


ED分岐もありますし、きっと一周目は折り返し地点で、二週目からが本当のデモンズソウルなのでしょう。


クリアに必要なのは根気だけです。たまには、そんな硬派なゲームに触れてみてはいかがでしょう?


あ、ちなみに私はまだ二週目クリアできてません。あしからず。

何故の生か

投稿二回目にして早くも厄介な話題です。死亡フラグが立った気もするし、打ち切りエンド臭すら漂います。でも書いていきます。


先日後輩と話をして、「生きる意味は何か」ってのが話題になりました。


この話題になると、まず僕が言いたくなるのが「その答えを探すため」です。「女神異聞録ペルソナ」というゲームで、主人公が(選択肢次第で)言う台詞です。


初めてこの台詞を見た時、多分小学生だったんですが、とても感銘を受けました。以来大好きな台詞の一つです。リメイク版?知らん。神話覚醒を消した罪は重い。


ただこれ、考え方によってはただ逃げてるだけとも取れるんですよ。だって結局の所答えになってないわけですから。とはいえ、生きる意味なんて若いうちにわかる人なんかいません。居たら仏陀の生まれ変わりかチートです。


生きる意味って、きっと人生が終わる直前に分かるものなのだと思います。だからこその「その答えを探すため」なのでしょう。しかし、それだけなのでしょうか?


もう一つ意味があるとすれば、 僕は「自分にしか出来ないことをすること」だと思います。具体的には、他人の人生に影響を与えることです。


人生って、人と人とが関わって出来ています。自分の発言や行動が誰かに影響を与えて、それがまた別の誰かに影響を与えて…と、凄く複雑なものです。


つまり、僕らは自分の人生の主人公であると同時に、他人の人生の脇役でもあるんです。ゲームならサガフロンティア2が近い感じかな?


「自分が居なくても、誰か別の人が居ればいいだろう」と思ってる人がいるなら、それはちg「それは違うよ!」


誰だ今の。ええと、自分以外じゃ代わりにならない場合もあります。


実際にあった話です。


ある試験を受けた人(Aさん)がいました。大学内の会場に向かう途中で、誰か(Bさんとします)に声をかけられます。
どうやらBさんも試験を受けに来たようですが、大学内がとても広く、会場がわからない様子。しかしBさんが受けるのは別の試験だったので、Aさんに会場はわかりません。
わからないと正直に告げると、Bさんはとぼとぼ去っていきます。

別れてすぐにAさんは試験会場に着きました。ところが何の偶然か、Aさんの試験の会場はBさんの試験会場でもあったのです。
ふと振り返ると、Bさんは会場からどんどん遠ざかっていきます…どちらも試験開始まで、そう時間はありません…


もしAさんが追いかけて声をかけなければ、Bさんは遅刻するか、最悪受験すらできないでしょう。
自分しか通らない道、やらないこと、行かない場所、沢山あります。そこで誰かが困っていたり、悩んでいる時、動き出せるのは他でもない自分だけなんです。


説教臭くなったけれど、これがもう一つの生きる意味なのかなって思います。いや、もしかしたらそんなもの無いのかも知れません。でも、意味を考えずに生きるには人生は長すぎます。


だとすれば、それを考える事にも意味はあるのかな、って思います。なんか少し清々しい気分なので、この後すぐ死なないかすごく心配です。


意味意味言い過ぎて意味がゲシュタルト崩壊してきたので、今回はこの辺で。意味の意味ってどういう意味だっけ…


え、Aさんはどうしたか?…それはご想像にお任せします。

伝え方の大事さ

Facebookで「正しさ」を盾に、周囲への批判を辛辣に述べる投稿が流れてきた。友達が「いいね!」したかららしい。言いたい事はわかる。正しいとも思う。でも、何かよくない。さっぱりよくない。何故かわからないが、朝から気分が落ち込んだ。


なんでこんな気分になるのかずっと考えてたら、「正しい事ならどんな伝え方をしてもいいのか」って事が引っかかってるんだと気づいた。


そこでさらに考えてたら、こういう考え方が湧いてきた。
「会話のキャッチボール」っていうのは皆知ってると思う。ここに、概念を二つ加える。まず一つ、「伝える意思」。批判とか、発言のメッセージ性やら強制力が強い程ボールは硬いとする。二つ目が「伝え方」。これはボールの速さ。伝え方が辛辣だとか、押し付けるようなものはそのまま速いボールを表す。これを前提としたい。


まず、会話って何か。相手に自分の考え=ボールを受け取ってもらって、相手の考えを投げ返してもらうこと。お互いが相手の考えを受け取る、理解するのがまず会話の目的になる。


ここで、冒頭の「周囲への批判」ってのは硬いボールになる。硬いってのは即ち危ないし怖い。そもそも受け取るのも痛い。だから「伝え方」=投げ方が重要になってくる。これをすごい速さで投げてしまうと、当然相手は受け取れない。下手したら身体にぶつかる。そうしたら、キレてこっちにもぶつけようとしたり、キャッチボールをやめてしまうかもしれない。柔らかいボール(普段の会話等)ならまだ冗談で済むけど、こっちはそうはいかない。いくら正しい事だったり、わかってもらいたい事でも、相手がそれを受け取ってくれなきゃ何の意味もない。


正しいからこうしろだの、君はこうするべきだのって、実は聞く側はすごく耳が痛かったりする。間違ってるって言われるのも同じだからね。優しく言われてもそうなのに、きつく言われたらやっぱり反発したくなる。


だからこそ、自分が正しいと思う事だったり、誰かに伝えたい事こそ相手が受け取りやすいようにしなきゃならないのかな、って強く感じた。批判は必要かもしれないけど、伝え方一つで受け取り方も、その後の展開も大きく変わっちゃうから尚更。


ちなみに、やっぱり同じ様に気になってる人がいたみたいで、本人に直接返信していた。ただそれについての本人のコメントが「周囲を焚きつけるためわざとこう書いたんだよ⭐」だったので、その是非について頭を悩ます事になったのはまた別のお話。


というわけで記念すべき初投稿でした。ブログ始めたのもこういう真面目な事を長文で書く場が欲しかったからです。ただ、これ以降趣味の話ばかりになったりする可能性は十分あります。
それでもよければお付き合いいただけると幸いです。よろしくお願いします。