「ヒーロー」のお話
みなさんこんにちは。社会人生活も二週目に入りましたが、相変わらずのてんやわんやぶりで色々忙しいです。
さて突然ですが、「ヒーロー」ってどういう人だと思いますか?
人を救う人でしょうか。それとも誰かのために自分を犠牲に出来る人でしょうか。
色々定義はあるでしょうが、今回はそんなヒーローについて話します。
「ヒーロー」ってどうやったらなれる?
私事ではありますが、僕はずっとヒーローに憧れていました。人を助けることができる、そんな人間に自分もなりたいと強く願っていました。その為の苦労なら惜しまずするつもりでした。
そんな時聞いたのがこの台詞です。
英雄ってのはさ、英雄になろうとした瞬間に失格なのよ。お前、いきなりアウトってわけ。
「仮面ライダー龍騎」に出てくる、北岡秀一=仮面ライダーゾルダの台詞です。「英雄になりたい(人から好かれたい)」との願いからライダーバトルに臨む、東条悟=仮面ライダータイガに向けての言葉でした。
二年前に龍騎を観たときはこの言葉の意味がわかりませんでした。が、劇場版仮面ライダー剣、そしてこの歌詞を見て、やっとその意味に気付きました。
ヒーローになんて なりたくない
(中略)
そんなものがいらない 世界へと 変える為に
要するに、「ヒーロー」ってものは困った人がいないと現れない存在なんですよね。だから、そうなろうとすること自体、「苦しむ人」の存在を願うことに繋がるわけです。
それはヒーローとは程遠い思考であり、「ヒーローになりたい」と願う人間は永遠にヒーローにはなれないんです。
…じゃあ、どうすればヒーローってものになれるんでしょうか?
ヒーローの条件
ではヒーローの条件は何か。僕が思うにそれは、「ヒーローになりたくない」と願うこと、あるいは何も考えないことではないでしょうか。
そもそもヒーローって何かと考えてみると、「困っている人、苦しんでいる人を助ける、あるいは無くす人」なわけです。
であれば、そういった人がいない状態が、ヒーローにとっての目標なんですよね。
そう考えると、何も考えずただ目の前の誰かを助けられる人こそが、自分の名誉を誇示したり、自己顕示欲を満たしたり、そういったこととは無縁の人こそが、ヒーローになれるのではないでしょうか。
ただ目の前の人を救う。ただ災害や犯罪に対処する。それは決してヒーローになりたいからではなく、人として当たり前のことだから。そう考えられる人が、本当のヒーローになれるのでしょう。
少し龍騎のネタバレになりますが、その後の東条悟の話をします。
彼は前述の言葉を聞き、どうすれば英雄になれるか悩むわけです。悩み続けてふと街の交差点に着いたとき、彼が目にしたのは親子連れに突っ込むトラックの姿でした。
とっさに彼らを突き飛ばし、トラックに轢かれた東条。翌日の新聞に書かれていたのは、
「親子を救った英雄」
という見出しでした。
…英雄になりたいと望んでいた時には命を奪うことしか出来ず、逆に何も考えないときに命を救うことが出来た、というのは皮肉という他ありませんが。きっとヒーローというものには、常にそういった皮肉が付きまとうものなのでしょう。
それでも僕は
でも。それでも僕はヒーローになりたいです。誰かを助ける事が出来る、誰かの為に命を張ることが出来る。そんなヒーローに、僕はずっと憧れていたんです。
正直言うと、自分みたいな人間でも誰かの役に立てると、自分にも出来ることがあると。そう思いたかったんです。それがヒーローから程遠い思考だとしても。
きっと僕はヒーローにはなれないでしょう。だってヒーローが願ってはいけない、自分本意の考え方をしているから。
もしそうでも、たとえヒーローにはなれなくても。僕は困った人を見ているのがとても嫌だと思います。泣いている人を見るのが辛いと感じます。その人を助けるためなら、なんだってしたいです。
であれば。ヒーローなんて肩書きが無くても、僕は僕の思うまま、誰かを助けるために生きていこうと思います。
それが例え、自己顕示欲や名誉欲を満たすためのものだとしても。一人でも多くの人を助けたいと願う気持ちは、絶対に嘘ではないのですから。
とまあ、いい感じに締めてみました。
願わくば、私が誰かにとってのヒーローになる、そんな事態が永遠に起こりませんように。
(今回何回ヒーローって言ったのかな…)