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つれづれなるブログ

心にうつりゆくよしなしごとを綴ってゆきます。

伝え方の大事さ

Facebookで「正しさ」を盾に、周囲への批判を辛辣に述べる投稿が流れてきた。友達が「いいね!」したかららしい。言いたい事はわかる。正しいとも思う。でも、何かよくない。さっぱりよくない。何故かわからないが、朝から気分が落ち込んだ。


なんでこんな気分になるのかずっと考えてたら、「正しい事ならどんな伝え方をしてもいいのか」って事が引っかかってるんだと気づいた。


そこでさらに考えてたら、こういう考え方が湧いてきた。
「会話のキャッチボール」っていうのは皆知ってると思う。ここに、概念を二つ加える。まず一つ、「伝える意思」。批判とか、発言のメッセージ性やら強制力が強い程ボールは硬いとする。二つ目が「伝え方」。これはボールの速さ。伝え方が辛辣だとか、押し付けるようなものはそのまま速いボールを表す。これを前提としたい。


まず、会話って何か。相手に自分の考え=ボールを受け取ってもらって、相手の考えを投げ返してもらうこと。お互いが相手の考えを受け取る、理解するのがまず会話の目的になる。


ここで、冒頭の「周囲への批判」ってのは硬いボールになる。硬いってのは即ち危ないし怖い。そもそも受け取るのも痛い。だから「伝え方」=投げ方が重要になってくる。これをすごい速さで投げてしまうと、当然相手は受け取れない。下手したら身体にぶつかる。そうしたら、キレてこっちにもぶつけようとしたり、キャッチボールをやめてしまうかもしれない。柔らかいボール(普段の会話等)ならまだ冗談で済むけど、こっちはそうはいかない。いくら正しい事だったり、わかってもらいたい事でも、相手がそれを受け取ってくれなきゃ何の意味もない。


正しいからこうしろだの、君はこうするべきだのって、実は聞く側はすごく耳が痛かったりする。間違ってるって言われるのも同じだからね。優しく言われてもそうなのに、きつく言われたらやっぱり反発したくなる。


だからこそ、自分が正しいと思う事だったり、誰かに伝えたい事こそ相手が受け取りやすいようにしなきゃならないのかな、って強く感じた。批判は必要かもしれないけど、伝え方一つで受け取り方も、その後の展開も大きく変わっちゃうから尚更。


ちなみに、やっぱり同じ様に気になってる人がいたみたいで、本人に直接返信していた。ただそれについての本人のコメントが「周囲を焚きつけるためわざとこう書いたんだよ⭐」だったので、その是非について頭を悩ます事になったのはまた別のお話。


というわけで記念すべき初投稿でした。ブログ始めたのもこういう真面目な事を長文で書く場が欲しかったからです。ただ、これ以降趣味の話ばかりになったりする可能性は十分あります。
それでもよければお付き合いいただけると幸いです。よろしくお願いします。